ベテランの先輩社員は20代の頃どうだったのか。過去の出来事を振り返ってみた。

入社は20年前。当時を振り返る。

今回は大松の良さをアピールする記事ではありません。どちらかというと赤裸々で等身大の実例を伝える記事です。ということで協力してくれたのは、フットサルFC DAIの主催者対でも出てくれたHさんに“過去のことを根掘り葉掘り”聞いてみました。

「昔の大松ってこんな感じだったんだ〜」とか、「そんな過去があったんだな」というエピソードを聞いてもらえたらと思っています。

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目次

    プロフィール

    H・H

    営業部推進課上級係長/FC DAIキャプテン

    2004年 新卒入社

    趣味はフットサル、パチンコ、スロットなどいろいろ。多趣味です。

    漠然とした興味が大松とのご縁だった

    どこにでもいる遊びに夢中な大学生だった

    私はもともとこの辺が地元ですし、大学も近場でしたので基本的に地元の友人と一緒に遊んで過ごしていました。特にバイトをするわけでもなく、サークルにも所属せずって感じだったかな。でも大学生活って遊び代、洋服代、飲み代と色々お金がいるじゃないですか。バイトをせずにどうやってお金を捻出していたの?って話ですけど、それらのお金はスロットで稼いでいました。

    当時は4号機が主流。初代北斗や初代吉宗などが盛り上がっていた時期だったし、パチプロもたくさんいたんですよね。実際にそれで食べていけるような時代でもあったので、いやらしい話かもしれないですが私もサラリーマンの月収分くらいは毎月スロットで稼いでいました。ちなみに私は初代花火や初代サンダー、大花火などをよく打っていましたね。まだこれらの台も現役で稼働していたんですよ。懐かしい(笑)

     

    就活でパチンコ業界を選んだ理由とは

    実際に学生の頃からパチンコ・スロットは打っていたし、業界への興味もあったので受けてみようかな、と。それに、お客さんとして通っていたお店の店員さんの印象を一言でいえば楽そう、立っているだけで良さそうな感じがしたので、どんな仕事をするのかは大体イメージ出来ていましたし。

    パチンコ業界以外では車のディーラー、スーパー、コンビニ本部、メーカーなどを受けたりしましたね。

    じゃあなんで最終的に大松に決めたんだって話ですが、1番最初に内定を出してくれた会社が大松だったからです。他の会社ではまだ内定は出ておらず、2次面接に進んでいるところや3次面接まで進んでいたところもありましたけど、「これ、ちょっと就活めんどくさいな。内定もらったし大松でいっか」みたいに考えて内定承諾しました。決め手ってほどでもないですが、当時の大松の面接官だった人が印象的で面白い人だったので、この会社は面白いのかな?という漠然とした印象を抱いたのを覚えています。

    社会人としてスタート。ところが大府店で洗礼を受ける。

    思っていた仕事のイメージとはかけ離れていた

    入社後に配属になった店舗は、グランドオープンして半年くらい経った頃の大府店でした。どうして大府店配属だったのかはわからないですが、多分家から近かったからなのかな?(笑)

    まぁ、そんなこんなで仕事が始まってみると、想像とのギャップの大きさに困惑しましたね。

    楽そう、お客様に呼ばれるまでは立っているだけで良さそうだと考えていたことをソッコーで後悔。とにかくめちゃくちゃ忙しかったです。稼働率(お客様の遊技状況)も尋常ではなく、呼び出しランプは至るところで付きっぱなし、店内を走り回ることが常という状況でもはや部活レベルでした(笑)

     

    しかも入社当初は、「定時が17時なら、仕事が終わってから(スロット)打ちに行けるじゃん!」と期待していたんですが、実際は毎日残業があるし、仕事で疲れ果ててしまい打ちに行く元気も残っていなかったです。

     

    挙げ句の果てには、同期が50人ほどいる中で、「もうあいつ辞めたらしいよ」「どうやらあの子も辞めたらしい」という声が早々に聞こえてくる。かくいう私も入社1年目にして(いや〜、こんなはずじゃなかった…。オレも辞めようかな…)と思い悩みました。

     

    それでも歯を食いしばって頑張った。

    とはいえ、そんなことを心のうちで思いつつも、仕事に対しては真面目だったと思います。サボるといったこともせず、無遅刻、無欠勤で仕事をしていましたしね。きっと自分でも“社会人としての心構え”を意識していたからじゃないかな。なんとか頑張って続けました。

    ちなみに余談ですが、入社当時50人いた同期は今でも5〜6人残っているんですよ。10%も現存しているってすごくないですか!?

     

    自分はこんな人材になると思っていた

    私は出世欲、昇格欲がありました。当時って上の世代の人とか上の役職に就いていた人も急に飛んじゃっていなくなることが多かったです。それこそ店長クラスでもね。だからポストがたくさん空いていた分明確に目指しやすかったです。20代で店長になったりも比較的ザラでしたので、私も早く店長になりたいと思っていました。台の設定を自分で決めたりも楽しそうだし給料も上がるしね。

     

    でも、実際に私が店長になれたのは30歳くらいと遅めでした。当時は副店長などのポジションもなく一般、リーダー、副主任、主任、店長という流れになるのですが、なかなか店長になれず主任歴が長かったってことです。でも、自分より先に店長になっていった後輩もいましたし、「何でオレじゃないんだろう」と悔しかったです。そもそもどうやったら店長になれるの?って不信感すら覚えていました。いま思えば色んな点で力不足だったからだろうとわかりますが、当時はそういう考えも分かりませんでしたからね、ただただ「何で?」って感じでした。

    いま大松にいる理由と言っても過言ではない転機

    やっと店長に昇格するも、試練の連続で心が折れた

    さっきの話の続きになりますが、そんな私にもやっと店長昇格の話が来たんです。グランドオープンする弥富店の店長として。とはいえ、店長って基本的には1店舗に店長1人という感じじゃないですか?ところが弥富店は、私と先輩(他店舗で店長経験もある方)の2人が店長という2人体制だったんです。

    まぁ形はどうであれ、結果を出すために頑張ろう!と意気込みながら取り組んだのですが、グランドオープンはぜんぜん成功しませんでした。惨敗です。その後もなかなか軌道に乗せることができず、3〜4ヶ月ほど経ったときには2人とも弥富店の店長を外されて異動という形になってしまいました。

     

    弥富を外されてからは別の店舗で店長をやって、また3ヶ月くらいしたら次の店舗に移って、また1ヶ月くらいして次へ、みたいな感じで私が店長になってから1年間で4店舗くらい店舗異動したんですよね。しかも必ず2人店長みたいな感じで。なぜそういう形なのか理由はわかりませんが、きっと私に何か問題があったからだろうし、何かを考えての会社判断だったのだと思うのですが、私としては短期間で店舗をたらい回しにされている。しかも1人ではなく誰かと必ずセットで。

    こんな状況を受け入れることができずに「別にオレいらなくない?いなくてもいいじゃん」と退職について真剣に考えました。実際に会社にも2度ほど辞めたい旨を伝えましたしね。

     

    踏みとどまり、頑張ろうと決意したエピソード

    私にとって、退職しようかどうしようかの最大の山場がここでした。こんな具合に店舗異動を続けていた頃、当時のエリア長(現営業部長)が、そのことについて親身に話を聞いてくれたり、店長としてのイロハなどを教育し直したりしてくれました。

    辞めたいという話をした時も、「辞めるとしても、次の仕事が決まっていないなら次の仕事が決まるまでは続けたらいいんじゃないか?」と言われたので、たしかにそうだと考えてとりあえず踏み留まることに。でも「もう私は店長はやらないです。降ります」と会社に伝えました。

     

    そして降格したあと、主任に戻って半年ほどが経った頃です。エリア長が何人かの主任たちを集めて店長になるための教育を行い、この中から2人を選抜して次の店長候補にする。という動きを始めました。

    実はその頃、店長を任されていた経験もあってか主任の仕事に物足りなさを感じていた私は、自分から店長はもうやらないと言っておきながらも「私も参加したいです」とエリア長に伝えました。自分勝手なことと承知で。

    すると「いいよ!」と言ってくださったので、この機会を活かそうと一生懸命学びました。結果的に私は上位2名に入り、店長復帰ができると思っていたのですが、会社からは当然のように猛烈な反対意見が。でも、エリア長が懸命に説得してくれたのだと思いますし、そのおかげで店長復帰も叶いました。

    だから今、私がこうして大松で働けているのも、今のポジションで頑張っていられるのも当時のエリア長(現営業部長)のおかげなんですよ。だから頑張って貢献し、恩返しがしたいなって思っています。

    20代に戻っても、やはり上を目指したい

    自分が20代に戻り、また大松に入社するとしたら?

    どうですかね〜。当時(私の入社した頃)と今を比べると全然違うんですよね。環境面もそうだし働きやすさは増しているはず。当時よりも休みの回数も増えていますから、プライベートに使う時間も十分に取れるでしょうし、その時間を確保するための働き方もできるのでそういう仕事の仕方をすると思います。

    でも、やっぱり上のポストは目指したいと思うでしょうね。そこは昔も今も変わりなくです。

     

    この仕事を一言でいうと

    私たちの仕事って個人プレーでは成り立たない仕事なんですよね。スポーツに例えるなら個人競技ではなく団体競技です。みんなとの連携がうまくいかないとホール全体が回らなくなったりするので、いかに協力し合ってやるかが大事な仕事。めちゃくちゃ忙しい時もありますけど、回し切った時って試合に勝った時のような達成感とか高揚感があります。

    例えるなら学校のクラスって感じですかね。クラスって仲のいい友達ばかりじゃなく、あまり合わない子たちもいたり、普段話さない子もいると思うんですけど、何か行事があれば一丸となってチームワークを発揮し、助け合いながら成し遂げる。あの感じに似ている仕事だと思っています。

    だから、人と手を取り合って頑張る仕事がしたい、チームワークを発揮して成し遂げる仕事がしたいって人には絶対に良い仕事だと思います!

     

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